2021年03月13日

63歳雑感〜継続の日に

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(ゆとり家の森にて:写真ソノッピ)

朝一番に思ったのは、継続への感謝だった。父母や先祖が思われた。そして妻とぼくのあとに続く息子のことも。

「自分は自分だ」と思っていたことが、じつは継続の中の波のひとつだったのだ、と気づくことが増えてきた。父母をはじめ、身近な人の喪失体験を経たからである。彼らがつねに自分と居るのをまざまざと感じるようになったとき、ぼくも絶えることのない継続であると知った。

死の瞬間、人は継続そのものになる。生きられた瞬間には、個が立ち上がっている。「私」がまだここにある。肉体を持った私が何をしうるのか、何をすべきなのか、あらゆる瞬間の問いに応答していく。ひとつ歳を重ねた自分の喫緊の課題である。平均寿命まで生きるとしても、あと20年もないのだから。

何を捨て、何を取るのか、それは自分がすべき仕事なのか? ただでさえ忙しい日常の中で、ぼくは何をしようとしているのか。「仕事」というと、どうしても自分がと思いがちだけれど、それもまた継続の中にある営みだ。今ぼくは、仕事を次の世代に受け渡そうとし、意識的にそう動いている。

しかし若いころのように、ぎちぎちに考え行動するばかりでは息が詰まる。体も心もゆるゆるになりたいものだ。願わくばクラゲのように水に溶けて終わるのが理想である。

自然法爾を倣うつもりで里山に住んでいる。徐々に人間の時間から自然の時間に移行していきたい。それには孤独と沈黙が必要だ。ここではどちらもふんだんに味わえる。その贅沢三昧のためにここに住むのだ。コロナに入ってから、ますますその方向への意識が強まった。すれば、体の順調な衰えも喜ばしい。

「降りていく生き方」がようやく実践段階に入ってきた。もっとも必要な友は、詩や俳句の言葉である。獲得ではなく、手放しゆだねるための道のりはこれからも続いていく。

posted by ダー at 11:31| Comment(0) | スピリチュアル・瞑想・心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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