2020年10月30日

ぼくは何かを思い出そうとしている

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(熱海の天空庭園にて)

コロナに入ってから不思議な時空を旅しているかのようだ。肉体的には会えないのに、多くの人(魂)たちと出会っている。今に始まったことではないのだけれど、会えないだけに余計に思いが強まり、引き合っているのかもしれない。

テレビ出演してから、縁の広まりと深まりが促進しているかのようだ。日々変化が加速し、しばらく落ち着かない気持ちだが、溺れないように波乗りしよう。

ようやくロビン・ロイドさんの詩集の翻訳に手をつけはじめている。彼との縁も不思議なものだ。アメリカの詩人は神戸に住み、故ナナオ・サカキの詩のファンだという。そうした縁の引き合いで、あるとき突然メールが来て、彼の詩集を訳出することになった。

ギターやカリンバ奏者でもあり、送っていただいたCDを繰り返し聴いている。長い翻訳の最中にかけっぱなしにしていたこともある。孤独な作業に寄り添ってくれるやさしい音をぼくは求めている。彼に直接会ったことはないが、とても近くに感じる人だ。

先日会ったある人は、昔の多くの友人が共通の知りあいで、それらの人の消息を聞くことができた。ぼくの放浪時代の親しみある関係が戻ってきた気持ちだ。ほびっと村はその結び目になっている。もうすぐ「ほびっと村瞑想会」は1周年を迎える。途中コロナの時期に突入したが、よく続いてきたものだ。それも仲間の支えがあったからである。

インターネット(オンライン)に切り替えて、知りあい、親しくなった人が、時空を超えて急増した。不思議なことに一度も会っていないのに、深いつながりを感じる人が多い。コンピュータの画面を通じて、思いが突き抜けてくるかのようだ。

今は会えないけれど、つながりの渇望を確認する時期なのかもしれない。実際に会えるようになったら、今度こそ結びつきを大切に育むだろう。そういった人たちとの出会いが楽しみになってきた。それまで「エアハグ」をしながら待つのだ。

実際にぽつぽつと直接の再会も始まっている。やはり顔を見合わせるのはうれしい。昔の知りあいが、連絡をくれたりすることもある。一度しか出会っていないのに、妙によく知った気がする人もいる。先日ヴァイオリニストで歌い手の吉本有里さんからフェイスブックを通じて連絡をいただいた。確か彼女のコンサートに一度行った切りなのだが、とてもよく憶えていてくださって、ぼくもなぜか深い親しみを感じるのだ。

この頃そういうことがよく起こる。前世からの縁の出会い直しなのだろうか? この時期に本当に大切な関係と、そうでもない関係の整理が行われている気がする。そうして今出会うべき人々と出会っているのだ。

精神障害者のコミュニティ、調布の「クッキングハウス」の代表松浦幸子さんもそうで、驚異的なことに20年ほど前にちょっと立ち話しただけなのに、彼女はぼくの講演会でよく覚えて声かけしてくださった。ぼくはあまりにびっくりしすぎて、今回テレビを見てくださったこともあり、ぜひ再訪したいと思っている。

縁と言えば、この山中の一軒家「ゆとり家」との出会いも奇跡的だった。ハロウィンの明日は満月だという谷に明るく光が降り注ぎ、緑の色が見えるほどに照らし出された夜の景色に鹿の鋭い鳴き声が響いている。この家を買って引っ越し前、十数年前の6月の満月の夜に、庭に腰かけて谷を見おろした。これからここに住むことを思って胸がふるえた。

その夢が今実現しているのだ。出会いは、育みの時と実現のタイミングがある。コロナという準備期間を経て、いったいどんな出会いが待っているのか、その兆しを感じながら月の光を浴びた。それだけで生きていることは祝祭だ。

posted by ダー at 23:03| Comment(0) | スピリチュアル・瞑想・心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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