2020年10月25日

人生も映画も巻き戻せないからおもしろい

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川越スカラ座のコピー
https://www.copywriter.co.jp/works/skalaza2/
なぜ知っているかというと、さっきサウナの中でテレビを見ていたから。快晴の暖かな日曜日、家族で過ごすなら温泉以外にあるだろう!とは思うものの、隙間時間にはちょうどいい。ぼんやりお湯につかって、帰りがけに外食して帰るのだ。

車の中で息子は、妻と一緒に「小さな幸せ」に感動している。遠くに見える白く輝く富士、道ばたの人懐こい猫、文鳥の世話、そうして気楽なお出かけ、すべて完璧だ。そうでない時もやってくるにしろ、人生にやり直しは利かない。何かひとつが欠けても今はなく、この一日はやってこなかった。

コロナさえなければ、とはちっとも思わない。あったほうがいいとも、もちろん思わない。ただ、これがあり、こうなっただけなのだ。それなら楽しむほうがお得だろう? ぼくは「無い袖は振れない」という言葉が好きで、よく使っている。あきらめがつく、次にいける、力を注ぐべきところに集中できる。起こったことは、起こったことだ、無い袖は振れない。

後悔しているだけでは、すべては取り返しがつかないものになる。取り返しがつかないという事実には手が付けられない。何があるか? 今ここの幸せは、ささいどころか、あふれるほどに存在する。それらの総計は過去の過ちを容易に凌駕する。今を喜ぶことだ。

かえって取り戻せないから今がある。そしてこれから先がある。タイムマシンがあったら、人は気楽に過去を修正し、都合のいいものに変えるだろう。それはあくまで自分の都合だ。そして何が本当にいいのかは、誰にもわからない。自分にとってさえ、いいものを勘違いばかりする。起こったことは任せるしかない、今できることしか、できることはない。

ここから、逆境でさえも楽しむという発想が生まれる。多くの人が困難に悲観的になり、運命の被害者でいたがる。被害者意識は害毒だ。どれほど困難であっても、被害者などじつはどこにも存在しない。因果関係の中で、そういう位置に置かれただけなのだ。それはカルマとも言い換えられる。

このコピーを作った長谷川哲士さんは、失業して先がないという状況の中でそれを考えついたそうだ。それが斜陽とされる地方の映画館のキャッチフレーズとなり、街の盛り返しに一役かっている。彼の逆境がなければ、生まれなかった言葉だろう。ぼくも打たれ強いというか、何度でも立ち直ってきている。それは自力ではなく(というより自力は弱弱である)多くの人や、まわりの環境のおかげだった。

何が幸いするかわからないと宮沢賢治も随所で言っている。それは認知の問題だ。このところ何回か連続で、認知問題を大学の授業で取り上げている。もののとらえ方次第で世界は変わる。客観的に固定した世界が、自分の外側に存在するわけではない。認知が世界を創造する。だからこそ、被害者意識は無意味なのだ。加害〜被害の図式は、考え方次第で覆るのだから。

ぼくの学歴、職歴は笑えるほど空白が多い。その空白には病気をしていたり、その後無気力にダラダラ過ごしていたり、旅をしていた期間が含まれる。あとはどうなっていたのかさえ覚えていない。どちらにしろ、社会的には無価値どころかマイナス要素でしかないので、最近履歴書など出したことはない。経歴が必要な仕事もないし、これから先もできないのだ。

過去が変えられない以上、経歴は変えられない。こうして62歳になり、社会的にぼくはオワコンである。でも社会の中に生きているとは思わないので差支えはない。今までの経験は見方を変えれば面白く、自著の中では格好のネタになっている。

そう、とくに逆境はおいしいネタになる。自分でそう思えればだけど。人生失敗したなと思う人は、それをネタにすればいい。ダメなほど笑えてくる。人は誰にもできない立派な話よりも、そこに興味を持つのだ。

やり直しがきかないからこそ、人生はネタが増え、歳をとるほどおもしろくなる。そう思えないとしたら、どこか見方が生真面目で堅苦しいものになっている。楽しむことを第一に工夫することだ、どうせ夢なんだから、これは。

posted by ダー at 14:09| Comment(0) | スピリチュアル・瞑想・心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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