2020年06月16日

正直であることと不正直であることの狭間で

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その瞬間瞬間正直であること、それは何にも増して宝であるが、現実にはそうもいかずに、あちらこちらへと寄り道をして逃げている。息抜きは必要だが、抜いたままになって戻らないのだ。そうしてそのうち虚ろに飲み込まれるのか。

ぼくも正直であり続けられない慚愧の念に沈むことがある。そのとき、助けを求める先はどこか。目の前に山がある、山を臨むしかないのだ。すると、山はぼくを見る。それだけ、それだけのために畑に行けば、ひとりになれる。ひとりになるしか助けられることはできないのだ。正直な独白である。

ぼくはついに救われなかった、ぼくはすでに救われていた。ふたつのことは同時にやってくる。ここではなく、「あちら」の方から投げられてくる。ふたつが矛盾なくここにある。もっと楽に生きられればよかったろうに、可哀そうな子だ。そういう声はどこから聞こえてくるのか、知らない振りができればよかったのに。知ったらもう知らない場所には行けないのだ。

やさしい笛吹がやってくる。やさしい笛吹が残酷な笑顔を向けながら、ぼくは耳をふさぐことはできないのだ。慈悲を知らなければ苦しむことはなかった。神は苦と楽の両方を投げてよこす。どちらかを投げ捨てることはできない。どちらも取るのか、どちらも取らないのか? 死んだように生きるのか、生きながら死んでいくのか。

大問題だ、大問題だと騒ぐうちにやがて夜が明ける。何ごともなかったように出かけていく人たちは、どこへ行きどこから帰ってくるのかを知らない。ぼくもまた、ここからどこへ行き、はたして明日にはここに帰ってくるのかどうか知らない。そうして夜が明け、一日が過ぎ、日暮れていく。

ぼくはできる限りのことを懸命にしたと言えるのだろうか? もう許されていいころだのに。そして日が暮れていき、意識に帳(とばり)が降りてくる。真に慈悲深いもの、それは眠りである。

posted by ダー at 20:42| Comment(0) | スピリチュアル・瞑想・心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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