2020年05月04日

失ってはいけない本当に大切なこと

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(コロナ蔓延直前、群馬県前橋市にて)

コロナは大変なことだけれど、世界には他にも大切なことがたくさんある。疫病に気を奪われて、それらがおろそかになってはいけない。確かに今守らねばならない基本がある。社会的距離を保つこと、衛生を保つこと、移動を避けること、閉じこもりの生活の中でもなるべく健やかに過ごすこと。

今日も街に行ったが、人に接近すると緊張する。今やマスクをしていない人はほとんどいない。自分と相手の身を守るためだ。市販のマスクが気休め程度にしかならないとしても、精神的な安心はマナーという形で必要だ。それが嫌悪感にならないよう、「お互いを尊重するがゆえに」距離を保ち遮蔽するのだということを、あらゆる瞬間に確認したい。

スーパーのレジで、病院や福祉施設や公共機関で、宅配便の受け渡しで、見えないところでインフラを支える人たち、多くの人々が身を守りながら奉仕に努めている。そうした奮闘と善意に感謝しつつ、応援するためにも自らの行動を振り返って整えることが必要だ。不自由だけれども、ぼくたちはこの潜伏期を通して大きな働きに召命されている。

人類全体が、この地球に今までやってきたことを振り返り、世界的規模でかかわり方の変容を迫られている。この大きな一打ちは、その転換への容赦なき最後通告だと思おう。

人類も文明もいつか滅びることに気づきながら、息を吸う/文明の死
この文明は死を免れないことに気づきながら、息を吐く/逃れられない
--ティク・ナット・ハン

すべては無常であり、だからこそ、この一瞬を大切に生き、行動することを確認する。どのようにして? この一歩、この一呼吸、この思いや動作。それすら変わっていくにしても、今ここに確かに生じているものだけを通じて、ぼくたちは自分や世界と関わることができる。身心は今ここにしかないのだから。

何をすべきだろう? 嫌悪ではなく、親しみを育てること。親しみとは、物理的に近づきベタベタすることだけではない。離れていても尊重があり、祈りがあり、つねに思いを向けていることだ。今、物理的に離れているからなおさら、距離を超えて出会えることがわかる。インターネットはそのためのすぐれたツールだけれど、それがなくてもぼくらはそうした能力を持っていた。

瞑想や祈りは、ぼくらを亡くなった人とも出会わせる。はるか離れた地球の反対側の人とでも。時と場とは、リアリティの一側面にしかすぎず、すべてが今ここにあることがはっきりと自覚できる瞬間がある。今が、(どんな瞬間も)そのときだ。

今まで疎遠さが肥大して、相手をしのぎ、闘うことばかりを考えてきた。人類はそれを集合意識としてきた。貪欲は人類を超え、すべての種や無生物を覆い、滅びの煙幕は全世界を包んできた。今、ひとりが変わればすべてが変わる。それがインタービーイングの原理だ。離れているからこそ、深いレベルのつながりに意識を向けることができる。ぼくらはひとりでも、ひとりではないのだ。

キーワードは「affinity 親和性」。そこには尊重や類似性、育み、一体感などが含まれる。愛といえば抽象的すぎる。あらゆる一瞬一瞬、目をそらして疎遠になるのはなく、新鮮な目で見ること〜そこから自然と感謝が湧いてくる。何のために今耐え忍んでいるのか?自覚が必要だ。ぼくらはこの状況を通して、真の目覚めに誘われている。

コロナに目を奪われて、大切なことを見失ってはいけない。泥があるからこそ蓮は咲く。この苦の中から何が咲こうとしているのか、それを見つめることこそが必要だ。

posted by ダー at 12:06| Comment(0) | スピリチュアル・瞑想・心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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