2020年05月03日

頭から肚に落として今を受け止める

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先行きを見通せないというコロナ蔓延の状況は、非常に大切なことを示唆している、人類全体に対して。俯瞰的な視点を持つような段階じゃないし、日々の生活を何とか復旧させることが先だ、そう思ってきたからぼくは積極的な発言をすることを控えてきた。しかしもう次のステップをはっきりと踏むべきだ。

5月6日予定とされていた(信じてはいなかったが)緊急事態宣言が先延ばしとなり、それも秋までというように、延長されるかもしれない。徐々に学校や仕事が再開されるにしても。自由に行き来できた記憶が新しいから、ぼくらは「以前のような状態に戻れる」と思っている。しかしその以前において、ぼくらは本当に幸せだったのだろうか?

残業までしてかつかつに働き、遠くまで通勤し、夏休みはたった数日しかなく、人に過剰に気を遣い、休日まで観光地に殺到し、強迫的な消費を続ける。お金がすべての幸せの基準で、子どもたちにもそう教え、大人がちっとも楽しそうじゃない。国家間で競争し、人を蹴落とすことを教える。それがぼくらの望んだ未来だったろうか? 子どもたちに渡したい社会なのか?

今こうして立ち止まり、考える時間はたっぷりある。今度こそ「逃げ場」はない。ぼくらは潜在的に「これ」を望んでいたのかもしれない。暴走する馬の上で「止めてくれ〜」と叫びながら、自分ではどうすることもできなかったのだから。少し前にスウェーデンの少女、グレタ・トゥーンベリさんが声をからして叫んでいたのに、多くの大人はまともに受け取らなかった。暴走し続けたがっていたから。

そして、凪(なぎ)は突然やってきた。目に見えない極微の暴君によって、あらゆる街の隅々まで、濡れた怖れのカーペットが敷きつめられた。がらんとしたタイムズスクエアの通りは、映画「渚にて」の〈すべてが手遅れだった景色〉のように美しい。人類が営々と築いてきた価値あるものが破壊されたのだ。

蒸気機関の発明以来、交通網が発達し、貨幣経済が爆発し、拝金主義の神の行進が世界中を跋扈した。人間は工場に閉じ込められ、同じ方向を向いて誰かのために使われるようになった。決して自分たちのためじゃなく。怒るものは追い払われ、逆らうものは叩かれた。哲学は磔刑に処せられ、信仰は火で焼かれた。人は恐れた、死ではなく「本当に生きること」を。「真に幸せになること」を。それは奴隷化された「家畜人ヤプー」的社会では、焚書にされるべき思想だ。

ぼくらはこれを待っていたのだ。救世主は怖れの仮面をつけてやって来る。家にとどまることは最大のレジスタンスだ。怖れを手なずけ、和解すれば、仮面の下の顔を見ることができる。今はそれにうってつけのときだ。

「止まって観る」ことは、伝統的な「サマタ=ヴィパッサナ」の瞑想である。家にとどまれば、見たくないものまで見なければならない。自分自身の心、家族との関係、あいまいにしていた生きる目的、仕事の意味、人間関係、社会や政治のこと、世界のあり方、それらすべてを。

この時期に、すべての仕事をオンラインに移行した。ぼくのような自由業は、自ら工夫しなければ制度は助けてはくれない。幸い以前からの多くの良き仲間がいる。お互いに知恵を出し、助け合うことのできる仲間が。外に出られないから仕方なくインターネットを使うのではなく、積極的にオンラインでなくてはできないことを今やっている。

まず軽々と距離を超えられることがいい。「お休み前のミニマインドフルネス瞑想会」は、毎回50人以上の人たちが全国のみならず海外からも参加している。
https://bit.ly/2Ynv02V

4月後半から始めた毎週水曜日夜のインターネットテレビ「マインドフルネス♡ハッピーアワー」は、離れているゲストや視聴者をオンラインツールであるズームやフェイスブックで結びつけ、毎回集中した話と実践を分かち合っている。
https://bit.ly/2WiYL25

こうしたシステムの立ち上げは慣れないだけに苦労するが、志ある仲間と深く話しながら企画を現実化することに、新たな喜びを感じている。ハッピーアワーの企画・制作とナビゲーターである柴山みゆきさん(みゆさん)が、やり取りの中で力強い言葉を送ってくれた。このひとことが、今起こっていることの意味をあぶり出している。

「変化はわかりやすくやってきただけ。今年は最後の仕上げだ。大きな花火が上がってる感じ。だから音も振動も大きくてちょっと怖いんだ。そろそろ落ち着いて、じっくり次の価値観をつかむ時だと思ってる」

男前(女前?)だよね(笑)。すでに用意されていた変化が、コロナというわかりやすい形で浮き立っただけだ。肚を決めて、しっかり受け止めるということではないだろうか。いつかはこうしなければならなかった。「今でしょ」という流行ことばがあったけど、みゆさんの言葉のように、大きな衝撃にひるみはするけれど「落ち着いて、じっくり次の価値観をつかむ時」がやって来ている。

ぼくらはひとり残らず本当に幸せになるべきだし、誰かを犠牲にしていいわけじゃない。皆がともに同じ運命を負っている、それがはっきりしたのだ。今ひとつにならなくて、いつなるというのだろう。

posted by ダー at 00:28| Comment(0) | スピリチュアル・瞑想・心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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