2020年04月26日

死からの逆算で生きる

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(ぼくの住む獅子窪の谷戸全景〜奥から町のほうを眺めたところ)

コロナ騒ぎですっかり忘れられてしまったかのようだが、ぼくたちの死亡率は100パーセントである。誰もが確実にやがて死ぬ。その原因はおそらくコロナ以外の何かだろう。

現在62歳のぼくの余命は、平均的に言ってあと20年くらいだ。何で死ぬかはわからない。父は去年白血病で逝ったし、母は動脈りゅう破裂だった。どちらでも嫌だなあとは思うが、死に方は選べない。もちろん体に気をつけはするが。コロナで逝った人も、まさか自分が疫病で死ぬとは去年は思わなかったろう。

人生はわからないことだらけだ。生きれば生きるほど、わからないことが増えていく。死は最大の謎である。若いころは遥か遠くにぼんやりしていたのに、このごろそれが岩のように動かしがたく感じられる。

あと20年と、ぼくにできることは何だろうとときどき思う。幸いにして本は残る。今取り組んでいる活字の仕事は、渡していきたい次の世代へのメッセージでもある。仏教では、「身口意」の三業(さんごう)だけが続いていくと説かれている。体と、言葉と、心によるアクションだ。ぼくには、とくに言葉が大切に思われる。朝いつも、自分の言葉が人にとって役立つものとなるように願って起きる。

コロナの感染者は国内で現在1万3千人、死者は366人になった。数字に帰すことのできないそれぞれの人生がある。感染がなければ死なずにすんだと思うと、何とも残念だ。その方たちの家族や友人や大切な人を含むと、苦しみの量は膨大だ。全世界では死者20万人、感染者は300万。終息といえるのは、人類の6〜70%が感染して抗体ができたときという医者の説明もきいた。

歴史は繰り返す。これまでにもペストやスペイン風邪など、繰り返し人類を見舞った疫病の大流行があった。まさか自分が生きている間に、世界をひっくり返すような出来事があるとは思わなかった。もしあるとすれば戦争か、原発事故か、気候の大変動か何かかもしれないと思ったことはある。しかし今や、ごまかしようもなくはっきりとしたことが起こっている。ぼくらは歴史の転換点に立ち会っているのだ。

今まで教科書の中だけの物語だった歴史を、今はぼくたちが毎日書き進めている。一人ひとりがその当時者だ。人類の変容は加速せざるを得ないだろう。経済が没落し、貧困層が拡大し、独裁化が進む、国家の分断が進むと唱える人もいる。それと反対に、世界がひとつになる、環境が改善する、ライフスタイルが劇的に変わる、人間関係のあり方が変わるという人もいる。どちらに進むかは、今の自分たち次第だ。

もう貪りと、怒りと、無智にぼんやりと留まることはできない。穏やかな呼吸を取り戻し、はっきりと見るときが来た。ティク・ナット・ハンが、21世紀は人類が集合的にブッダになるときだ、と言ったのはこれだった。多くの賢者が何らかの形で予言したことが、今目の前で展開している。大きな苦しみにもかかわらず、そのことにときめきさえ覚えるのだ。

それを言うのは尚早かもしれない。まだ現場で精いっぱいの闘いを続けている人たちもいる。しかし、準備できる者はすぐにでも始めたほうがいい。それぞれが自分の持ち場所でできることをするのだ。どちらにしてもぼくらはいずれ死ぬ。コロナで死にたくはなくても。

じつは、これから先の人類は、コロナよりも他の理由で死ぬ方が多い。2018年の日本人の死亡数は136万2482人、とてつもない人数である。これだけの人生が閉じた。その中で第1位はガンの37万3547人、第2位は心疾患(高血圧性を除く)の20万8210人、第3位は老衰の10万9606人、第4位は脳血管疾患の10万8165人、第5位は肺炎の9万4654人だった。病没が圧倒的に多いが、ここにコロナが入って来るとは思えない。

感染症でいけばインフルエンザでは2016年1463人、2017年2569人、2018年3325人が亡くなり、2019年は突出していて1〜9月の集計で、すでに死者3000人を超えている。感染者は1000万人という。これをどう見ればいいだろう? もちろん感染で死ぬことは避けうるし、注意すべきだ。インフルエンザに対しても死の可能性があるかぎり、今までぼくたちは防御がゆるかったと言えるだろう。しかしぼくらの本当の相手はコロナではない。

死そのものだ。

いずれにしても死は避けられない。その恐怖に、ぼくらはコロナを通して招待されている。気の進まない話だが。ぼくらは恐怖から、様々なことをしでかしてしまう。ちゃんと死の顔を見つめないで来たしわ寄せが、今きているのかもしれない。今こそ真剣に、瞑想者は瞑想するときだ。現実の真っただ中で。生老病死の死というテーマを抱いて座る。真剣に向き合う。そして初めて、生死を超えて現実を受け止める丹力がつくのかもしれない。

posted by ダー at 23:26| Comment(0) | スピリチュアル・瞑想・心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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