2019年08月26日

大の男が働きもせずに〜本で書かなかったこと

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(こぼすなよ、と言われ続けて61年、元気です)

この呪文がぼくを長年苦しめた。少なくとも20代を通じて。それは旅に逃避する動機にもなったし、病気を言い訳にすることにもつながった。でも、どうやって働けばいいのか?わからない。簡単なバイトならできる。しかしそれが続かない。まして常勤とか、ストレスが多すぎる。毎日同じ時間に職場へ行き、残業までする、その上付き合いもあるなんて、気が遠くなる。

35歳までが就職の最終チャンスとどこかで書いていたのを真に受け、その時が訪れるまで旅を続けた。ちょうどその歳に帰国し、もう働く必要はないのだなとほっとした。将来が不安ではないのか?などという忠告は意味が無かった。将来のことなんて考えてなかったから。長年の旅暮らしで、社会性がマヒしていたのかもしれない。働くことなく、ぼくは女性の家に居候してヒモ生活を始めた。ラッキーだなと思った。

たまたま自然食の商売をする友人から手伝いを頼まれ、しばらくして彼が店をたたむので、あとを引き受けてくれないかと言われた。ひとりでやれば気楽な商売だ。儲ける必要はない。時間が余るのもつらいので、空いた時間(とはいえすべてが空き時間だった)に、車で仕入れをしたり食品を配達したりするようになった。週3日だけの配達中心にしたので、それ以上は何もしないでのんびりできた。

そのうち翻訳の仕事をたのまれる。断る理由もなくやってみた。当時は原稿用紙のマス目一つひとつを埋める地道な作業である。時間ならたっぷりあるので、分厚い辞書を引きながらやってみたが、けっこうおもしろい。はまった。それが本になって出版されるという。うれしかった。とはいえ、野望はまるでない。そうしてつづけた仕事も、7年ほどたつと息切れがして止めたくなる。自営業はやるも辞めるも自由だ。つまり自由業だ。自由というのは、働かないのも自由という意味だ。

その間、(養ってくれていた人と)結婚もしたし、家庭も築いたが、建設的な気持ちにはなれなかった。多くの人は、守るものがあり、働かねばならないと信じているから、収入を得て生活をしているように見える。しかしぼくは、働かずに生きていければと、そちらを優先させて考えていたのだ。収入が無ければ我慢する。では食べ物は? いよいよ食えなくなったときには、職探しをせずに断食をした。水を飲んだり、金をかき集めて少なくとも腹がふくれる飯だけとか、詰め込んだこともある。

それほどまでして働きたくないとは何だったのか? のちに翻訳をいくつか頼まれるようになって、さらに新しく出会った人と同居することになり(再度ヒモ暮らし)、その人が妻になって今がある。著書にインド行きのことを書いたが、それは占星術の旅だ。インドの著名な占星術師に、ぼくがどうすべきかを言われて帰ってきた。

彼女からは(つまり今の妻から)、働けとは言われなかった。本当にほっとした。「大の男」が、40をとうに過ぎて働かなくてもいいよと言われるのは、じつに、心底、救われる。ところが、「あなたにはこの星がついている、あなたはこう生きるように決められている」と占星術師から言われ、それが潮目を変えた。ぼくは自分で決めたことがない。逃避し続けただけだ。それだけは自信がある。

逃げ続ける人間に選択の余地はない。遠くまで行き、知らない老人から、意味深なことを宣託されて、いいやその通りに受け取ってみよう、と思った。ぼくにはあとも先もないのだと思っていたから。親の言うことにも耳を貸さなかったぼくが、初めて人の言うことを鵜呑みにしたのだった。その時だって、将来のことは考えなかった。

占星術師が伝えたのは、生まれた瞬間にぼくの使命は決まっている。その瞬間に、その場で生まれた人間は、この世にひとりしかいない。ぼくはこの世でひとりのユニークな存在だということだった。生まれるというのは、その事実の全肯定である。星は、ぼくのことをぼく以上によく知っていた。人は、ぼくよりぼくを知っていた。

それ以来、人の提案に乗ることにした。自分にはやりたいことがなかったから。ぼく自身は働くことに無気力で、面接なんかに行ったらすぐに落とされる。だから、自分から出かけることはせず、頼まれたことだけすることにした。「大の男」コンプレックスは、妻のおかげで消えていたので、仕事が無くても気にはならなかった。

そのあとの経緯はすべて省略して(著書を読んでね)、今ぼくは数種の仕事を掛け持ちしながら忙しく「働いて」いる。すべて頼まれ仕事だ。求めたことはない。一体どうしたことだ?ぼくとしたことが。しかも一つひとつをていねいに、真剣にやろうと努めている。この状態を無職とは言えないだろう。「有職」とも言えない。何なのか? そんな定義を離れて、今ぼくはよくわからないままに使ってもらっているのである。人から、そして何か人智を超えたものから。本当のところはどうなのかわからない。だからこそ、今ここで力を尽くそうとは思っている。

煙に巻くような終わり方で申し訳ない。9月のZen2.0では、対談相手のジンクミと「絶望」について語りつくそうと思う。どうやらそれが、ぼくのキーワードである。ぼくは自分に絶望していたのかもしれない。今でもたぶんそれは変わらない。絶望とは、失うものがないということだ。だからぼくは今こうして生きているのだ。

【最近気になっている「レンタルなんもしない人」を読んで書きました。 https://aiulog.com/rental-nanmoshinaihito/

【Zen2.0】 https://zen20.jp/

posted by ダー at 00:54| Comment(1) | スピリチュアル・瞑想・心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
8日の午後お世話になったものです。記事を拝見するようになりました。ここのところ絶望がテーマのようなので、これについて、今経験していることを書きます。ラジオ深夜便で昨年から「絶望名言」をAM4:00に月1回放送しているのを聞いています。太宰治、キルケゴール、ベートーヴェンなど多方面の人の絶望名言を聞いて、私の人生と重ねたり、今後の参考にしたりしています。NHKから本も出ているようです。人間にはこの立場からの視点も必要だと思っています。それではまたお会いする日を楽しみにしています。
Posted by ゆた at 2019年09月12日 11:16
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