ついに出先でのモバイル生活に入ってしまった。せっかく知らない町に来ているのに路地から路地へワクワクしながら歩き回りもしないで、閉じこもってキーを打ってるなんて嫌だから、今まで携帯以外の機器を持ち運ばなかった。しかし今日は一日中外は氷雨で、済まさねばならない書きものもある。ホテルの部屋は心地よく、おまけに喉はまだ痛む。
遠くの地方都市に来ている。地方の小さな町は、くすんだ灰色のベールをかぶったみたいに見える。仕事の件で市役所に菓子折りを持ってあいさつに行った。係りの人はいかにも田舎のあんちゃんぽくて、話しているだけでも気持ちが温かくなった。
文化会館のちょっと高級そうなレストランで昼食をとった。ほかに食堂など見当たらず、市役所でもらった資料の束が重くて、雨のなか傘さして食べるところを探すことは無理だったから。向こう側の席で年配のご婦人がふたり、習いたての英語で話そうとしている。話がややこしくなると日本語で説明しながら、お互いに照れながら。
話は、子どもが孫を連れてやってきたことや、習い事や、これから見に行く展覧会のこと。子育てが終わって、孫の成長を楽しみにしながら、友人たちとあちこちに出かける、満ち足りた彼女たちの日々が思われる。あらゆる苦労はあったろう。けれどまだ見たいものも、身に着けたいことも、未知のこともたっぷりとある。
遠くの町の初めて出会って通り過ぎる人たちの、確かに生きている人たちのお喋りだった。前だったら無関心だったろう、もしかしたらうんざりしたかもしれないようなことに、感動さえしている。お互いやがて死んでいくのに、出会ったのだ、そこで。
この前息子から、「お父さん仕事って楽しいの?」と聞かれた。即座に「そりゃもうさ」と答えていた。将来のことをいろいろと考えないでもない。クラスの親の中ではたぶんぼくは最高齢だから、なるべく長く頑張らなくちゃなと思う。それでも、微力を尽くして目前の仕事をていねいにしていくほかはない。
「どんなところがいいの?」「そりゃ、いろんな人が楽しみにしてくれてるからさ」「そうなのか」「そうなのだ」。話題はすぐに彼の夢中な「クローラーダンプ」のことに移る。あの運転手もきっと待っている(家族や客や取引先などの)だれかがいるのだ。無事を思わずにはいられない。
ホテルの部屋が快適すぎて、仕事を忘れそうになる。喉がかれて声が出にくくなってもう1か月以上たつが、明日はまた授業だ。