2018年08月14日

〈道〉としてのパートナーシップ

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(ニセコの森にて)

お盆の期間は「パートナーシップのマインドフルネス(仮)」の最終仕上げに臨んでいる。これが終わってから群馬に帰省の予定だ。かなり手を入れたので、1998年発刊の旧訳よりとても読みやすくなっていると思う。

あれからぼくは離婚し、離職し、病気が再発し、新しいパートナーと出会い、引っ越し、さらに引っ越して、結婚し、ここに落ち着いた。少しはその間の成長?が反映されていればいいのだが。

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2018年08月11日

男の脳が求める時間と空間というもの

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北海道から帰って、盆休みの間は仕事に集中する。いつもそうなんだけれど、渋滞や混雑がいやなので、出歩くのはなるべく人がいなさそうな時期にしている。去年の北海道は雨続きのお盆時期だったので、キャンプ場では大勢が温泉施設に避難してきて大変だった。

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2018年08月07日

手稲山のふもとから〜夏随想

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(手稲山を背景に)

10年前のハワイで、のちにぼくの妻になるはずの彼女はヨガのリトリートを開催し、ぼくは手伝いで調理役などを引き受けていた。そこに参加していたのりえちゃんはその後結婚して子をもうけ、故郷の北海道に定住した。ぼくらにも子が生まれた。

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2018年07月30日

史上最長の夏の宿題

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  (講座風景〜般若心経)   (息子は8歳になった)

ブログが一か月留守になった。さすがにこの1〜2か月間、扱う文書量が翻訳・執筆ともに多く、そちらにかかり切りになっていた。

講座は毎週のようにあったが、どれを省くのも惜しい、みな意味のある楽しいものばかりだった。長野、横浜、日本橋、鎌倉、駒込、新宿、渋谷、そして昨日は池袋で大きな大会の分科会だった。今夜はインターネット講座で、夜も毎週入っていた。このごろ、もうこれきりでもいいと思って言える限りのことは言っておこうと思っている、と感じる。

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2018年06月18日

講座で何をするの? マインドフルネスの基礎 連載7,8回

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【講座で何をするの? マインドフルネスの基礎 その7】

〔なぜ仲間が大切なのか?〕〜ほんとうのHomeとは?

 前回マインドフルネスを身に着ける三つの要素について書きました。そのひとつが「仲間を持つこと」です。習慣化する、動機をはっきり持つ、のふたつがあっても、仲間がいなければ、実践の道は大変苦しいものになります。不可能ではないでしょうが、せっかくの努力がかえって頑なになってしまうかもしれません。

 私たちの住むこの社会は、どんな価値を大切にしているでしょうか? 私はカウンセリングで、よくクライアントさんにこの問いかけをします。あなたの苦しみは、今まで生きてきたコースの中で、そしてそれによって〈頭の中に出来上がったコース〉によって作られたものではないでしょうか? 「コースの外」があること、それに気づくことが最初の一歩です。

 それを「世間」と「出世間」という言葉で表すこともできます。今風に言えば、オルタナティブな価値を見いだすこと、「これ以外の生き方もありなんだ」と思えることが、ほっと一安心につながり、自分の内なるパワーにつながる道を開いてくれます。「それ以外の生き方」は、じつは他ならぬ自分の本心が知っています。そこにどうアクセスするかも、マインドフルネスの実践です。講座では、この〈本来の自分〉から現実へと踏み出していくプロセスをとても大事にしています。

 自分らしさを失わずに現実の真っただ中を生きていこうとするとき、多くの困難に出会うでしょう。この社会の大きな部分は、必ずしもそれを歓迎しないからです。外側だけでなく、その傾向は「習慣のエネルギー」となって、自分自身の中にも流れています。マインドフルネスを実践し始めると、今までの自分と新たな自分との葛藤に引き裂かれる人がめずらしくありません。それは、自分自身を責める声となって、苦しみを与えてきます。

 ひとりだけで立ち向かうのは、あまりにも困難です。そこで、同じ価値を共有できる人や、受け入れてくれる場が必要になってきます。「そのままでいいんだよ」「その方向で一緒に行こう」と言ってくれる他者が必要なのです。仏教ではこうした仲間を法友、グループをサンガと呼んでいますが、マインドフルネスに限らず、社会の中でそうした安心な、自分自身でいることができる場に出会うのはなかなか稀です。

 私は、精神障碍者の当事者グループをこの10年主宰していますが、それもサンガですし、瞑想会や講座も継続的に関わるようになるとサンガです。そこは避難所であり、本来の自分自身につながり、社会の中で自分らしく力強く生きていくための「エネルギースタンド」なのです。ありのままを受け入れ合えたときに、その安心感の中から自分本来のエネルギーが立ち上がってきます。しかしそこは、たんなる慰め合いや逃げ場ではありません。お互いに心を開いて受け入れ合うためには、自分を見つめ開示するマインドフルネスの実践が欠かせません。

 互いに実践を続けるというコミットメント(意志)を持ち、ゆるし合う努力を怠らないこと、そうして初めて安心な場は出来上がります。最初は「どうか助けてください」とやってきた人も、やがて手を差し伸べる側になることができるでしょう。そのとき、「私には何ができるだろうか?」という行動への問いが生まれてきます。良きサンガからは、多くの菩薩(現実にコミットしていく人)が歩み出します。そのときあなたは、自分の苦しみが自分だけのものではなく、世界全体のテーマであったことに気づくでしょう。


【講座で何をするの? マインドフルネスの基礎 その8】

〔えり好みをしないこと〕〜ありのままを受け止める

こうなってほしいのに、そうならない。そうなってほしくないのに、なってしまう。なんとか思いのままにしたくて、あらゆる手段を試すうちに瞑想に行き当たる。望みを達成したいからです。

〈病院に行き、カウンセラーに相談し、様々な療法を試みた。コンサルタントにアドバイスをもらい、友達に悩みを聞いてもらい、神社にも行ってみた。怪しげな祈祷師に祈ってもらったり、パワースポットめぐりもした。本もたくさん読んだ。食事を変え、ボディワークや心理講座にも参加した。もしかしたら、瞑想がいちばん効くのかもしれない〉

この限界ある肉体と人生の中で、私たちは少しでも幸せになろうとします。それは当たり前のことです。そうして完璧なまでの(経済的、健康的、社会的…)幸せを手に入れたかのように見える人は、本当にそうなのでしょうか? 私たちの幸せ尺度には、切りがありません。もっともっと上があるはずと信じて努力し続けます。

そうして、この世的な満足を得て死ぬ人もいるでしょうが、この世的な満足さえも満たせないで(まあそこそこだなと思って)死ぬ人が、ほとんどかもしれません。子どものころ私たちは、そんな不完全燃焼を良しとしたでしょうか? 本当に満足したくて、野山を駆け回っていたのではないでしょうか? そのときを最大限に楽しみたくて。

人生はそんなふうに、一つひとつを確かめながら、どれが私を幸せにしてくれるかより分けながら、すべてのバランスを考えて、慎重に努力しないと成就しないものなのでしょうか? 最初の行を振り返って見ましょう。「こうなってほしいのに、そうならない。そうなってほしくないのに、なってしまう」、これが現実です。今そう〈なっていない〉から、あなたは〈なる〉ように努力するのではありませんか?

ここにトリックがあります。現実レベルでは、それはしなければならないことです。草が伸びて道が歩きにくいから草を刈る、というのもそうです。市県民税を払っていないから、払い込みに行きます(マジで!)。病気になれば医者に行き、薬をもらったり、その他できる限りの養生をします。そうした対処もせずに神秘的な神だのみをするなら、足が宙に浮きます。

しかしそのことと、人生の真の満足は別です。「こうなってほしいのに、そうならない。そうなってほしくないのに、なってしまう」ことを、ブッダは四苦八苦に分類しました。生物として定められている生老病死、人間として免れない「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」(詳しくは調べてね)合計八苦です。ブッダはコントロール不能なこれらを、「ドゥッカ=苦」と呼びました。

これらの重大問題については、えり好みできないのです。たとえば、今は死ぬことが実感できなくても、私たちは必ず死にます。よくよく考えてみればとても恐ろしくなるはずです。私たちはふだん、その恐怖から逃げているのです。私たちは、ふつうに生活しながらも、これらに手を付けなければ本当に安心することはできません。八苦は、毎日の生活の中でつねに起こっているからです。

この根本的な不安感から解放されるには、「えり好みをせず、ありのままを受け止める=現実の観察」しかありません。瞑想で楽になろうという目的も、下手をするとえり好みのひとつになります。そのこだわりがさらに苦を生むことがめずらしくありません。

「マインドフルネスでかえって苦しくなる」ことも、ありのままのひとつです。その苦しさとともに呼吸し、微笑んでみましょう。そこでできることはいくつかあります。字数が尽きました。本稿はまだまだ続きます。

*連続講座の受付は締め切りました。しかし本講座開始(7月7日七夕)までまだ日がありますので、数名「追加募集」を行います。下記よりお入りください(最終締め切り7月4日)

★人と関わる人のためのマインドフルネス〜本気で身につける連続講座(第3期)〈追加募集詳細〉
http://yutoriya.seesaa.net/article/458953427.html
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2018年06月08日

講座で何をするの? マインドフルネスの基礎 連載4〜6

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*本気で身に着ける連続講座 http://yutoriya.seesaa.net/article/458953427.html
 の案内として、マインドフルネスの「考え方・視点」について連載で書いたもの今回はその第2弾。4〜6までです。


【講座で何をするの? その4】

〔まず喜びの花に水やりを〕〜苦しみの流れから出るために

 楽になりたいからやっているのに、どうして変わらないんだろう、おかしいな。そういう話はよくあります。ひょっとすると、ほとんどの人がそうなのかもしれません。それに共感できるのは、ぼくにも覚えがあるからです。

 苦しみたくないのに苦しんでしまうのは、苦しみの構造がよくわからないから。それゆえ、苦しみに逆にエサをやってしまっていることが多いのです。すべてのものが生きるためには「食べ物」(エネルギーの供給)が必要です。

 自分の中に、「苦しみたくない心」と「苦しみたい心」があると想像してみてください。苦しみたい心は、意識できない心の奥でエサを待っています。そうしてうまく私たちをあやつり、エサを取り込ませて肥え太っているのです。ちょっとホラーですよね。

 それを大雑把に「エゴ」とも呼んでいます。エゴは社会的に機能するために必要なものですが、それが肥大すると、かなり困ったことになります。それは苦によって生きながらえるもの、自他の区別をし、自の利益だけを考え、ますます自分自身を追い詰めていきます。そんなこと続けて何がいいの?と思えたらしめたもの。方法があります。それが「喜びという要素への水やり」です。

 エゴは「悪いこと(不幸)のあらさがし」をします。庭にたとえれば、「枯れた花」ばかりを気に病み、他の健やかな植物に目をとめようとしないのです。そうするうちに他の花の世話がおろそかになり、健やかなものまで枯れていってしまう。エゴの策略にはまらないうちに、「喜び、安らぎ、わくわく」など、多くの健やかな花を庭いっぱいに咲かせましょう。

 ティク・ナット・ハンはこれを、「選択的水やり(selective watering)」と言っています。講座の最初のほうで必ず体験していただくワークでは、「自分が好きなこと、喜べること」をマインドフルに(〈ながら〉ではなく集中して)行います。そのために、日常の中で「聖域」を作ります。聖域とは、何にも侵害されない自分だけの時間と空間です。

 私たちの習気(じっけ:型にはまった心の癖〜習慣のエネルギー)は、いわば社会に蔓延する集合的意識です。その流れは、先へ先へとせわしなく走り続け、止まってじっくり味わうことはさせません。利益にならないと判断すると、すぐに退屈し、批判し、「役に立つこと」をするよう命じます。

 そこで〈あえて〉本当はやりたかったこと、(でも忙しくて、大人だから、今さら…)と言い訳してきたことを、他からの影響を遠ざけてやってみるのです。そのときあなたの中の喜びの花は、どう変化しますか?

 瞑想というと、生真面目に長時間座り、自分自身を見抜くのだ!という印象をもつ人がいるかもしれません。しかし、現代社会の「ガンバリズム」という習気の流れの中で育った私たちは、最初からそんなふうに努力すれば、またも苦しみの罠にはまり、「おかしいな、マインドフルネスやってるのに苦しくなるだけだ」となりがちです。

 第1回で書いたように、まず「ゆるして、ゆるむ」ことと、喜びの花への水やりを心がけましょう。それは、苦からの解放という方向を定めることと、マインドフルネスのエネルギーチャージになります。十分喜びや安らぎのエネルギーが充填できれば、苦しみに向き合うこともできるようになります。実践にはちゃんとした方向性とエネルギーが必要なのです。

※連続講座は、一人ひとり個別相談ありのオーダーメイドです。〈本気〉とは「自分本来の気」につながること。自分との、世界とのつながりをもう一度取り戻すことが講座の大きなテーマのひとつです。

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【講座で何をするの? その5】

〔不思議に目を開く〕〜おさなごころを取り戻す

 私たちはこの地球にいったい何しに来ているのだろう? ふだんはあまり考えないだろうこの問題は、じつはマインドフルネス(今ここに起こっているありのままの現実を見つめること)と深くかかわっています。

 大人になるにしたがって私たちは、様々な用事に忙しくなり、やらなくてはならない仕事に追われ、物事を純粋に楽しむことが難しくなります。たしかに、現実に生活していくのは大変なことです。楽しみは週末に取っておいて、平日はひたすらこらえて働くのみ、という人もいるかもしれません。

 そうした現実の中で、マインドフルネスにはいったいどんな働きができるのでしょうか? 落ち着いて瞑想する時間などない、締め切りに追われる(それぼく?笑)、日常の雑事が山ほど積まれている、そんな日々が続くと、何のために生まれて来たのかという、本当はいちばん大切な問題は遠く感じられます。それよりも現実の生活だ!と。

 子どものころ夢を話したりすると、「もっと現実的に考えろ」と言われた覚えがあるかもしれません。大人になって生活に追われ、これが現実か!と嘆息する人もいるでしょう。あの夢のような時間は、子どものころだけの特権だったのでしょうか?

 親子のマインドフルネス講座がこの前ありました。そのとき認識を新たにしたことがあります。大人こそ、「おさなごころ」を取り戻すべきだと。そうして、真の「現実を見る」目を取り戻さないとヤバいな、と思ったのです。

 マインドフルネスの定義を振り返ってみましょう。「今ここに起こっているありのままの現実を見つめる」、まさに〈これが現実〉です。ありのままとは? この呼吸、今体に感じている感覚、心に移ろう思考、今目の前にあるコンピュータやスマホのモニター、それを見つめる目、反応する心……、それ以外の何が〈ここに〉あるでしょうか?

 大人になった私たちは、これら以外のことばかりに気を取られ、追い求めてはいないでしょうか? そうして手に入れたいものは何? お金や実績や信用やネットワークや物や、それらにともなう評価でしょうか? 私たちは、この社会の中でどう育ってきて、何を期待されているのでしょう?

 マインドフルネスは、この大人社会の中で生きる私たちが、もう一度「それは本当?」と自問する機会を与えてくれます。そうして、子どものときのような「丸はだかの感性」を取り戻し、それによって世界と出会い直すことをすすめているのです。そんな感性は失くしてしまったって? 大丈夫、呼吸と微笑みがそのカギです。

 そのとき世界はベールを脱いで、その神秘を見せてくれます。前回書いたように、考えてもわからないけれど、そのままを感じることで。wonder(不思議=思議できない、考えでは解き明かせないこと)ばかりになってきます。物事を「不思議だなあ」という目で見つめてみましょう。そのとき自分を含めたすべてがwonderだらけだとわかります。wonderがfullなのです。

 こうして、世界はwonderfulすばらしいものとして立ち現れてきます。不思議をもって見つめるとき、思考は静まっています。私たちの中の「おさなごころ」が目を覚まし、平凡に見えていたいつもの景色が、通勤の道が、一杯のコーヒーが、家族の顔が、この上もなく新鮮で、奇跡的なものに思えてきます。そのときあなたは、すでに違う世界に生きています。そのとき目に映る世界は「法界(ダルマ・ダートゥ)」です。

 いつものように、顔を洗い、ゴミ出しをし、仕事場に行き、お金の計算をし、挨拶をし、取引きをしながらも、あなたはこの世の景色を違った場所から眺める目も持っています。それが、マインドフルネスの目なのです。

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【講座で何をするの? その6】

〔マインドフルネスを本当に生かすには?〕〜瞑想を日常に

 ぼくがこのような実践講座を始めるようになったのは、まだ4年弱前のことでした。瞑想関係の翻訳をし、大学で教えるうちに、ご縁から講演や講座を頼まれるようになったのです。自分で瞑想を実践していても、人に伝え、そのすばらしさを体験し、さらに生かしてもらえるようになることの難しさを感じています。

 1回きりの講演やワークショップでの体験は、そのときは興味深くてもすぐに消えて行ってしまいます。1回でもきっかけになればいいのですが、マインドフルネスという「根本的な変容をもたらすあり方」を身に着けてほしいと、工夫を重ねてきました。

 たとえば、ストレスを解消したい、人間関係を改善したい、お金の心配を無くしたい、病気を治したい、運気を向上させたいなど、それぞれ今の課題があると思います。この世には、現実的な方策と、長期的・根本的な取り組みとが、それぞれに対して存在します。別にマインドフルネスでなくてもいいのです。

 では、マインドフルネスでなくてはできないこととは何なのでしょうか? それは個々の問題解決に先立って、「どんなことがあっても、それを受け止め、怖れない心をつくる」ということだと思います。その心(生きる姿勢)が最初にあれば、実際に解決したい問題にも、力強く取り組んでいけるでしょう。心にしっかりとした確信があるからです。

 確信とは何でしょうか? 「真の現実のありようはこうだ」と知っていること、そしてそれが実現できると思えることです。気づき(マインドフルネス)とは、思い込みから解放され、ありのままの現実をよく見て、現実の本質が何かを見極めることです。それによって法則性が見えてきます。「怖れない」のは、「よく知る」からです。無智の暗闇を気づきの光で照らせば、ヘビは縄だったとわかります。

 では確信を持つために、今日から何ができるのでしょうか? 講座ではいつも、必須の要素として 1)毎日練習すること 2)仲間を持つこと 3)意図を持つこと、を伝えています。マインドフルネスって良さそうだなあと思って、ひとりだけでたまにちょっと試してみても、何も変わることはありません。毎日行うこと、話が通じる(価値が共有できる)人がいること、本気かどうか、この三つが必要です。

 1)毎日練習すること〜習慣化です。一週間すてきなセンターで瞑想に集中することは、お金さえ払えば簡単で、手ごたえも感じられます。しかしそれよりも、毎日5分でも、地道に実践をし続けるほうが大きな変容をもたらすことは確実です。しかし、これがハードルが高いのです。目移りして他のことをやってみますが、そこでも同じパターンを繰り返します。その悪循環を断ち切り、ひたすら行うことも、マインドフルネスの実践です。

 2)仲間を持つこと〜実践をともにする仲間です。とはいえ、必ずしも何かのグループに所属しなければというわけではありません(そうした方がたやすいのですが)。今の問題は、「この社会の価値観」「育ってきた文脈」から生まれてきています。そのためには、今までの流れと違った「新しい流れ(価値体系)」を知る必要があります。ひとりで違った流れを維持することはとても難しいことです。同じ悩みを持ち、それを共有し、実践する、支え合いがあれば、継続することははるかに楽になります。

 3)意図を持つこと〜前回も書きましたが、仏教では「発菩提心」と言います。自分が本当に楽に、幸せに生きたいという動機を持つことです。たいていの場合、よほど痛い目に合わなければ人は本気を出しません。ぼく自身がそうだから、たぶん皆さんもそうでしょう(笑) 講座に「本気」というタイトルを付けたのは、動機付けがはっきりした人に来ていただきたいからです。何となく「良くなればラッキーかなあ」では、またもや後回しになってしまいます。たとえどんなに安くても、そういうことにお金を使うのはもったいないでしょう。

 あなたは、本当にそれを望んでいるでしょうか? 重要な問いかけです。キリストが、「あなたの信仰があなたを救った」と言ったのもこのことです。何であれ、自分が本当に望んでするのかどうか? それこそが中心になるべきテーマなのです。

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講座で何をするの? マインドフルネスの基礎 連載1〜3

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*本気で身に着ける連続講座 http://yutoriya.seesaa.net/article/458953427.html
 の案内として、マインドフルネスの「考え方・視点」について連載で書いたものを、こちらのブログにもまとめてアップします。今回はその第1弾。1〜3までです。


【講座で何をするの? その1】 

〔マインドフルネスを始める前に〕〜ゆるみ、ゆるすこと

 マインドフルネスに限らず、何かを新しく始めるときに大切なポイントは、リラックスしてゆるむこと。それが「ゆるす」ことにつながります。ゆるすって何でしょう?
 目標をもつのは必要ですが、またそれが無ければ何かに取りかかることもできませんが、陥りやすいワナがあります。それは、まだ目標を達成していない今の自分を不完全だと思ってしまうこと。
 そうした不全感が緊張をやわらげることを難しくしています。マインドフルネスに取りかかる前にリラックスして、存分に今ここにくつろぐ実践をします。私たちは、休むことにさえ罪悪感を感じることがあります。「今ここをありのままに見つめるマインドフルネス」の力は、まず休んで疲れをいやさないと発揮できません。疲れすぎていると、どうしても自分に否定的になりがちです。
 だから、体をほぐし、いたわることが大切なのです。それによって、ほっと一息つき、自分をねぎらってあげる(お疲れさん、よくやっているね)〜それが自分をゆるすことになります。
 これは座ったままでもできます。ゆったりした自然呼吸で、体に意識を向けながら、微笑み(慈悲の心)とともに部分から全体を、そして最後にはまわりの広がりを感じます。大らかに気づいていきます。
 やさしさと大らかさに包まれた気づきによって、「ありのまま」が自然に見えてきます。気張らなくても、気づきの場がそこに広がるのです。そこから、マインドフルネスがスタートします。

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【講座で何をするの? その2】

〔呼吸の気づき方〕〜ただ気づくのが難しいんですけど…

 マインドフルネスでは、どんな手法も必ず「呼吸に気づくこと」を基本にします。不思議ですね。ふだんそのようなことをしないのですから、初めての場合たいてい、呼吸、なぜ?ってなります。気づいてどうなるのよ?という感じでしょうか。もちろんぼくもそうでした。しかも「そのときの自然な呼吸にただ気づく」というのです。あんまり役立ちそうもありませんね(笑)

 ヨガや気功やダンスや瞑想の伝統には、様々な呼吸法があります。それぞれ目的があり、ぼくたちの健康や心の平安に役立つものです。マインドフルネスは、呼吸のやり方を変える方法とはちょっと違い、「呼吸に気づきを向ける」だけです。正確に言えば〈呼吸による〉瞑想法なのです。

 このとき、あんまり意識しすぎて「よ〜し、気づくぞ!」と気張ると、ぎこちなくなり、苦しくなってきます。好きな人を意識しすぎると緊張する、そういうときの感じかな〜いや違う?(笑)。最初のころ呼吸を観るときにお勧めできるのは、たまたま通りかかって「あ、そこに居たの?」っていう感じで気づくこと。さりげなく、さっと気づきを向けます(慣れてきたら深く、しかもやさしく見つめていきます)。

 ティク・ナット・ハンは、「呼吸に気づくときに、知らず知らず深く吸い込むことがあるから、それをしないように」とお弟子さんに厳しく注意するそうです。ありのままとは、いじらないこと。自然な呼吸を観るとは、そこに起こっている現象をそのまま平等に認めることです。走っているときには速い呼吸、くつろいでいるときには深くゆったり、イライラしているときはせわしなく不規則、熱があるときには浅くて苦しい。それが、その時々の自然な呼吸です。

 こういう呼吸がいい!という判断をいったん脇に置いて、ただ、微笑みとともにやさしく、粘り強く見つめるとき、呼吸はどう変化するでしょうか? それがプラムヴィレッジでよく歌われている「in-out, deep-slow ,calm-ease, smile-release」の変化の流れです。仏教の古典である呼吸の教え「アーナーパーナ・サティ」をいちばん短くしたのがこの歌です。先日、横須賀の米軍基地内でぼくたちはこの歌を歌ってきました。呼吸とともに歌うと、本当にこの順番で導かれていきます。

 呼吸をこのように観ることができれば、他のあらゆる現象−体、心、世の中のすべて−をそのように観ていくことができます。呼吸の観察は、こうしてすべての観察の基盤になるのです。

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【講座で何をするの? その3】

〔初心者は何をすればいいの?〕〜いちばん大切なこと

 マインドフルネスって何からすればいいのだろう? 最初に何に気をつければいいのだろう? 「リラックスしてゆるす」ことを講座では大事にしている、と第1回で書いたのですが、ぼくの先生であるティク・ナット・ハンは、禅僧らしくもっとラディカルに答えています。

 多くの場合、まず姿勢を正して座り、入ってくる息・出ていく息にありのままに気づく、と教えるかもしれません。ブッダが弟子たちに説いたのもそれでした。「森の中の空き地に座り、マインドフルネスを確立して呼吸を観察する」と、経典(四念処経:サティパッターナ・スッタ)にも書かれています。

 ティク・ナット・ハンが、〈初めて瞑想する人へのアドバイス〉について、ある雑誌のインタビューに答えたときのことです。「若いカップルなら、テレビを消して、画面を観る代わりにお互いに向き直ることですね」…「そして、一緒にいて私たちふたりは幸せ? と聞いてみてください。これは偽りのない問いかけです」(『リトリート〜ブッダの瞑想の実践』(野草社:筆者訳)p:92より)

 この「偽りのない問いかけ」から、本当の幸せに向かって一緒に取り組んでいける、と彼は続けて言っています。この部分を翻訳しながら、ぼくは衝撃を受けました。実際に自分を振り返ったのです。ひとりきりで何時間も座って瞑想することはできるけれど、これは難しい!と思いました。もっとも身近な人と、自分は幸せに取り組んでいるのだろうか?と。

 講座や瞑想会に熱心に通っても、安らかなのはその仲間といるときだけで、家族関係はいっこうに改善せず、むしろ疎遠にさえなっていると聞くことがよくあります。何のための瞑想や学びでしょうか? もっとも大切なことを迂回しては、(狭い意味での)瞑想自体もうまくいくとは思えません。

 講座では「マインドフルネス(今ここにとどまって気づくこと)」「ハートフルネス(ハートを開いて自他に正直に慈悲深く接すること)」「ソウルフルネス(生き生きした生命力と情熱を発揮すること)」の三本柱を大切に伝えています。とくに2番目の開いたハートこそが、自分との、人との関係性を変えていく鍵です。それには、勇気をもって「偽りのない問いかけ」をしなければなりません。もちろんこの三つは、一緒に進んでいきます。

 このとき、安心の関係性が育っていきます。家庭が安心でなくて、どこで安らげるのでしょうか? 「自分の心」という内なる家庭も、同時に安らぎの基盤です。ブッダが「内なる島」、ティク・ナット・ハンが「ほんとうの家」と呼ぶものです。偽りのない問いかけからほんとうの幸せに歩み出す〜それを仏教では「発菩提心(ほつぼだいしん)」と呼びます。

 ティク・ナット・ハンは、まず最初に「何のためのマインドフルネスか?」を深く問いなさいと言っているのです。

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2018年06月07日

「自然という概念」の落とし穴

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(毎晩ホタルを観に行く、なぜ逃げないんだろうか?)

梅雨に入り、これで水やりはひと安心と思う反面、これから半年続く草刈りの果てしない闘いが待っている。年々働き手が減っていく過疎地での懸案のひとつだ。梅雨時は、うれしくもあり、うれしくもなしが半ばする季節である。けれど、毎晩下の谷にはホタルが乱舞し、家族で見に行くことが至上の楽しみだ。もったいないことに、それを見ている人はぼくらしかいない。

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2018年05月31日

浮気をする理由、しない理由

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(2009モロカイ島:ハワイ島でのヨガリトリート開催後の休暇にて)

還暦になって、あからさまなタイトルでも書けるようになった。芸能人が結婚すれば次には浮気、そしてしまいには離婚が、ゴシップネタとして綴られる。一般人にとっても、浮気はじつはそれほど珍しくない出来事だ。恋愛寿命4年説からすれば、うなづけなくもない。頻度からすると「浮気しないなんてあたりまえじゃないか!」といえるほど稀ではないということだ。

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2018年05月29日

息子とぼくのふつうの奇跡

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みなさん、突然ですが諸々の税金はどうされていますか? ぼくは気にしたくないので、口座引き落としにするか、目をつぶっていっぺんに振り込んでしまうことにしている。分割でダラダラ払ったところで、結局引かれる額に変わりはないのだ。

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